東京・代々木を拠点に活動するTAKUYA、Suthoomによるハウス、フリースタイルダンスデュオ。
互いに90年代初期よりダンスに目覚め、様々なジャンルのストリートダンスカルチャーに触れる。その後上京し、東京に集まる様々な情報、日本ならではの多ジャンルの交差に早くから着眼し独自のスタイルを構築し始める。
特にハウスの一要素ジャッキンを日本のシーンに持ち込み、それらを再解釈した俗に「YOYOGI」と呼ばれる彼ら独自のスタイルは日本のハウスダンスのスタイル、音楽性の幅を広げた大きな一要因となった。

それらスタイルを駆使し挑んだ世界最大のストリートダンスコンテスト「JAPAN DANCE DELIGHT 13」ではハウスチーム初の優勝という快挙を成し遂げ、
その後のソロバトル時代突入後もDANCE@LIVE、THE GAME、JUSTE DEBOUT、、等代表的バトルにおいても入賞、優勝多数 & 強烈なインパクトを残し続けている。

その他、国外内各地でのショーやWS、ジャッジは勿論の事、単独ダンスライブ「SYMBOLIVE」開催やSYMBOL-ISM名義での映像リリース、ダンススペースやミュージックバー、レコードレーベル、セレクトショップの運営を行う等、、、自らのダンスライフとダンススタイルの創造を続ける数少ないHIPHOPスピリットなダンスクルーの一つ。

1990's
TAKUYAは九州・大分にてSuthoomは茨城にてそれぞれにダンスを始める。

90年代後期TAKUYAとその周りのフリースタイルフリーク達(RYO aka DJ226、IKKEN、TAKE-C等、、、)にてSYMBOL-ISMと名乗り出す。

SuthoomはRHYTHMIC ACTとして活動。RAVE2001等メディアでも活躍。
2000
~2000年代に入りSuthoom、現在TAPダンサーの浦上雄次(当時SUJI名義)がSYMBOL-ISMへ合流。
HOUSE、B-BOYING、HIPHOP、BE-BOP、LOCKIN等、、、様々なダンスや音楽に影響を受けたスタイルを作品へ落とし込みダンスディライト等コンテストやイベントに参加するようになる。

この頃ショーでのヘビーユーズはFELA KUTI。自分らのスタイルを「ストリートアフロステップ」 と呼んでいた時期。
2002
今は無き六本木クラブCOREにてその後7年間毎月行われたダンスイベント「I.T.T」をスタート。 国内外問わず重要ダンサー、DJ、ミュージシャンが出演。 SYMBOL-ISM自らも様々なダンサー、アーティストとコラボレーションを重ねる。

Suthoomはこの頃既にDJとしても活動を開始。

「ディギディダ・・・」と聞こえるフレーズのインドのタブラ奏者二ティンソーニーの楽曲を用いた作品を創作しJAPAN DANCE DELIGHTにて3位入賞。

SUJIがTAPに専念しSYMBOL-ISMを脱退。

TAKUYA、Suthoom二人での現在のSYMBOL-ISMの原型とも言えるチーム活動を開始。 このくらいの頃から音楽的にもダンス的にもハウス色が強まりソロセッション的なショー創りへ傾倒していく。
2003
I.T.Tで知り合ったSYMBOL-ISMも含む異ジャンルダンサー9名にてNu-dancersを結成。 THE ROOMにて「sambalism」や六本木Super deluxe「Sun*nova」等 イベントを立ち上げ様々なミュージシャンとのセッションを重ねる。

この頃SuthoomはジャンベにもハマりSYMBOL-ISM自体も民族音楽、ブラジル、アフリカ音楽、生音全般に傾倒。がしかしTAKUYAのDJセットの中にTHEO PARRISH等デトロイトハウスセットも入り始め、より黒いハウスへと傾倒し始めた時期でもある。

TAKUYAが自らの会社「worcle co.,ltd」を立ち上げる。

現在の代々木studio worcle B1をオープンし夜な夜なセッションを繰り返す。この頃から「代々木」というキーワードが少しずつ浸透し始める。
2004
これまで教則的なものしかなかったダンスビデオシーンにアーティスティックなダンス映像を! と強い志を持ちダンスDVD「TOKYO INDEPENDENT」を3本リリース、企画、プロデュースをTAKUYAが務め、SYMBOL-ISM自らも出演。TAKUYAはこれを機にその後も映像プロデュースやアーティストのステージプロデュースも手がけるようになる。

代々木にカフェ「bottle cafe」をオープンし店長をSuthoomが努めダンサーと店長2足の草鞋スタイルを確立!? この場所で出会い今現在も共に活動したり遊んだりする仲間は無茶苦茶多い。有難うボトルカフェ!(2009年閉店)
2006
酒処白熊(現shirokuma)をオープン。Suthoomが移動し店長を務める。 この頃から店内で流す音楽がデトロイトハウス、シカゴハウス率が高くなり近所から変なお店扱いされ始める。

TAKUYA  パリに行き様々な現行黒人ダンサーに刺激を貰いハウススタイルの一要素「Jacking」を研究し始める。

同時期NYハウスオリジネーターWhichway Shaのレッスンに通いShaのJackin styleの研究に没頭する。

JAPAN DANCE DELIGHTにてSYMBOL-ISM & CLOCK EYED CANVASとして出場、ハウスチームとしては初優勝を成し遂げる!

ジャッキンが日本全国に浸透。SYMBOL-ISMとして各地のイベントに招かれる。
2007
代々木にイベント&レッスンも出来るダンススペースANCEをオープン。 ハウスを中心に様々な実験色強めなイベント、パーティーを立ち上げる。 この頃くらいから今まで以上にSYMBOL-ISM周辺=代々木系と言われ始めるw

TAKUYA  NYへ行きJackson Pollock等様々なアーティストに強く影響を受け即興表現に傾倒。NYハウスダンサーJoey Andersonにたまたま遭遇。90年代当時と変わらないアングラ臭漂わせるサイファースタイルに大きな刺激を受ける。またJOEY ANDERSONとそのクルーで元ハウスダンサーのDJ QUやその周辺UNDERGROUND QUALITYあたりの 正に地下な質感を保持、進化させた音楽性に影響を受ける。
2008
SYMBOL-ISMのDVDリリース。

SYMBOL-ISMによるダンスライブ「SYMBOLIVE」も初開催。 スティーブ・ライヒ等ミニマルミュージックをショーに多用しはじめる。
2009
TAKUYAを中心にしたデトロイトハウスフリークにてTHE BEATDOWN BROTHERSをかなりゆるく結成。

結成直後に開催されたTOKYO DANCE DELIGHTに参加し優勝する。

この頃はLAのパーティーLow End Theoryあたりの音楽性に影響を受け、この辺のヒップホップとこれまでのハウス両方を織り交ぜたショー創りにハマる。 その流れは現在にも繋がる。
2010
白熊が居酒屋の原型を留めなくなりドープなミュージックフリークで溢れかえり始める。
2012
TAKUYAがALMA HIROとハウス1大イベント「HOUSE DANCE CROSSING」を開催。 全国のハウスダンサーが集まり話題となる。

Suthoomがワークルから独立し、レッスンを多く開始し猛スピードでカリスマインストラクターとなるw

SuthoomがZutto Dance Studio設立。そしてま・まさかの家を建てるwダンスイントラは家建てられるくらい儲かるのか?やSYMBOL-ISMは二人共ボンボンなのか?と噂されるw

白熊の表記を「shirokuma」へ変更しミュージックバーとしてリニューアル。
2013
代々木で踊りたい音楽を自らリリースするレコードレーベル「yygrec」を発足しTAKUYAがプロデュース。

yygrecから世界リリースしたDJ QU / EDENがアンダーグラウンドヒットする。

久々に「SYMBOLIVE」を企画。SYMBOL-ISM二人のみで60分ショーを企画。
2014
SYMBOLIVE -emotional logic- 開催。

代官山UNITにてイベント「LIVING LEAVING」を初開催。
2015
TAKUYAがプロデュースするセレクトショップ「CONTE-NU」を千駄ヶ谷へオープン。

SuthoomがZutto Dance Studio主催の公演「HOUSE PARTY」を発開催。

代々木ダンサーによるダンス公演「ANCESTOR 2015」を開催。
2016
TAKUYAが盟友PInO(ALMA)とコンビを組みJUSTE DEBOUTに出場し日本大会にて優勝。

Suthoomがベトナムへビジネス進出。
2017
代々木ダンサーの発信拠点ANCEが閉店。10年の歴史に終止符を打つ。

代々木DANCER & DJsクルー「yygcru」を結成。

Suthoomが合同会社ZDSを発足。

日々ナイス音楽&ナイスダンス追求、仕事、家族、仲間、、に囲まれドープで ディープなアンダーグラウンド思考大人ダンスライフを謳歌中。